はび・あす在宅

社会復帰×闘病《チャレンジ》脳腫瘍を乗り越えたい。

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はび・あす山元
はび・あす山元
以前働いていた会社からの解雇宣告と
脳腫瘍の手術・厳しいリハビリを乗り越えて
「はび・あす」でもう一度
働くこと選択をされた事例を紹介します。

私は6歳の娘がいる母親です。

「はび・あす」に勤務しています。

娘が産まれたこと時はとても嬉しかったです。

その幸せを今でも覚えています。

出産した赤ちゃんの産声を聞いた時

『幸せだなぁ~神様ありがとうございます。』と思いました。

出産した夜にICUに

出産後の夜に痙攣をおこしてICUに運ばれたらしいです。

1週間はずっと意識がなかったみたいです。

今回は職場復帰した後、病気の再発、

また働きたいと思えたきっかけについて書きました。

悲しい現実

仕事復帰をした会社は障害者雇用もしていて良い環境の職場だなと思っていたのですが

病気の人は仕事を辞めないといけないのが現状。

病気への理解がなく話を聞いて頂けなかったです。

悲しいというより・・・気づけなかった自分を情けなく感じました。

そして解雇を受け入れました。

素直に悔しいし病気の人は働くのは迷惑かけるから働けないのかな

とかこれからは社会に出てまた嫌な思いするのかなと色々悩みました。

その頃は心がボロボロの状態でした。

そんな時に定期的に通院している病院で

MRI検査の結果、脳腫瘍が再発していることが分かりました。

頭が真っ白になり何も言葉は出ずただ泣いていました。

でも今見つかったのはよかった。

何で?私、何もしてないよと複雑な感情でした。

その時に会社を辞めて良かったと思いました。

再発してまた手術を受けないといけない、

子どもとまた一緒に居られないのに。

辞めた会社のことを考えなくて済むし1つ自分の心の中で区切りをついた気がします。

手術は運動神経の近くにあるので

麻酔はしているけど起きて、話をしたり問題に答えたりと話を聞くだけでは怖かった。

でも手術の台の確認をするとのことで手術室に入らせてもらった時、

よく医療ドラマに出て来る物を見て

これから手術を受けるにも関わらずなんだかうきうきしてしまいました。

いつもは緊張してベッドで入るので周りを見ている余裕がありませんでした。

子どもと一緒にいる時間は少ないけれど

保育園で色々な事をたくさん覚えて教えてもらっている

それだけで十分でした。

寂しかったですが、これを乗り切れたら頑張れる

楽しい時間がまた待っていると信じて乗り切りました。




手術後の生活

手術は終わり回復室では頭が痛い、熱いで何回も看護師さんを呼びました。

優しく声掛けもして下さり救われました。

今でも感謝です。

手術の次の日

主治医が見に来てくれました。そこで私も気付きました。

今日は何の日とかここはどこなど頭の状態を確かめるのは大丈夫でしたが

次は身体の確認だから起きてと言われて起きようとしたら右手が使えないことに。

えっ!本当に?と感じでビックリしかなかったです。足は変わりなく。

手術から2週間

リハビリ専門病院に移ることになりました。

それまではリハビリしつつ手術後の観察や検査など行いました。

その期間は治ると信じてリハビリを受けていました。

ショックはありましたが、これまでの難題な試練も乗り越えてきたから

頑張れるし痙攣がなくなっただけでもありがたいし、生きることで幸せだからです。

まだ家族と一緒にいれる喜びがあったから前向きになれたのだと思います。

そしてリハビリ病院を決めなくてはいけない時の何を基準に選ぶか迷いました。

リハビリの器具がいっぱいあるところか最新技術など悩みましたが

1番の決め手は実家、家に近いところに決めました。

選んだ病院は6ヶ月の入院をする病院でした。

家族や友人に会えないことは寂しいし娘の成長を見られない

実家の母には子供を預けるなど色々迷惑かけるので

私が元気に退院することが恩返しだと思いました。

本当は1人の時間が長く孤独でホームシック状態でした・・・

リハビリテーション病院

おばあちゃんとおじいちゃんだけで話も合わない人ばかり・・・

リハビリの先生は同い年くらいで徐々に慣れて

段々と話がはずんで自分を取り戻していく感じがしました。

めったにマイナス思考にならなかった私ですが

出会い

障害を持ってどんどん暗くなっている感じはありました。

暗くなる私を元気づけてくれた先生は担当だったのリハビリの先生でした。

トレーニングはとっても厳しくきついトレーニングでした。

担当の先生と一度ケンカをしたことがあります。

先生と仲良くなる前、心を許してない頃です。

手のリハビリで指の神経を探して電流を流してもらい指の開きを動かす作業でした。

痛くて叫んでしまう事や我慢していたら先生に言われました。

「痛いのであればちゃんと言うこと!あなたにあうリハビリじゃないと意味ない!」

と言われた私は「手のリハビリはこの強さかなと思った」

「最初からわかるわけない!」と答え言い合いになりました。

先生とたくさんお話をして

心が開いたのと同時に私以上に熱意を持ってくれている。

私に合ったリハビリ方法を考えてくれて

手や足の事をこんなに真剣に考えて、怒ってくれた。

私はこのリハビリの先生に出会えて本当に良かったです。

今もこの先生とお手紙でやり取りをするぐらいです。リハビリ病院は1か月で慣れていきました。

再び働きたい

半年間のリハビリを終えて家に帰りました。

家族といる家は落ち着き帰ってきた当日、泣きました。

右側手・足が不自由な私をいつも受け入れてくれる最強の味方です。

うちの子はまだ6歳なのでワガママを言うことが当たり前の年齢

時折「できた料理運ぶね」「お風呂滑るから気をつけてね」

など今でもお手伝いしてくれます。

本当はご飯食べるまでは遊でたいだろうなと思いながら

子どもの言葉に甘えています。

私がしている筋トレを一緒にしてくれる

人の気持ちに寄り添ってくれる優しい心の自慢の子供です。

親バカですみません。

障害はツライ・苦しいが私の心の奥にはあります(私、個人の意見です)。

母親が障害者になったからこそ

教えられること伝えられることがあると考えています。

家でもリハビリや筋肉をつけるために毎日の散歩それにプラス家事。

家事の中でも一番大変だったのが洗濯でした。

洗濯は両手を使えた時は15分ぐらいだったのが(洗濯物の量にもよりますが)

1時間ぐらいかかりました。

その時は本当にショックでマイナス思考が働き悪循環でした。

これも生きていく中で必要なことだから「これもリハビリだ!」

と思うようにしてからは前のようにはできないと思って

新しくやりやすい形、自分のやり方を見つけようと考えました。

料理も自分に合うやり方を探しました。

1年間、家での家事もたくさんして上手くできるようになってそれが自信になり

次のステップに踏み込みたいと考えました。

もう一度働けるかどうか自分を試したかったのもあります。

それに家族の役にも立ちたい、みんなで楽しく幸せになるために。

家族に守られてきたけど

次は自分にできることからチャレンジして

ステップアップしていきたいと思いました。

私は病気になって障害を抱えることになった時、

前の自分と障害者になった自分を理解できなかった時に

前の自分に戻りたいと思った事は何度もあります。

リハビリでは何回も何度も出来ないこと・悔しいこと・悲しことを経験しました。

だからこそ何でもチャレンジしてみる事がすごく大事だと思いました。

沈んだ気持ちになることもあります。

その時は音楽を聞いたり、入浴時に考えノートにまとめたり。

ダメだったり、悪かったから悩んでいる・・・

そのことに対して良かったことや

美味しいものを食べて気分転換してモチベーションを上げる事を探します。

チャレンジできるだけでありがたいです。

これからも生きていることにありがたく思い

自分にできることをどんどんチャレンジしていきたいです。

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