統合失調症《実録》病気を隠して働く難しさ

Pocket

『障がいと病気を開示して働くこと』

今は、OPENで、病気の事を話すのは抵抗ないです。

若い頃は、めんどくさいのもあったのかもしれませんが、自分の事を話すのが苦手で、

病院の先生や親から普通の人と同じように生活しなさいと言われたので

仕事するときは、病気の事を黙ってました。

以前は病気の事を話せば、面接で100%落とされるとも思っていました。

なので病気の事を話せませんでした。

私の場合、普通に仕事する事が苦手で、電話対応は出来ない、

人の話が頭の中に入ってこないので伝言できなかった事を思い出します。

でも、その当時は、自分は頭が悪いから人と同じことができないとあきらめてました。

自分が嫌になって、辞めてしまう事が多かったです。

それから、私は、朝起きた時、仕事行かなければならなくなると、今日という日が本当に終わるのかな?

とか又この部屋に戻ってこれるかな?

と余計な事を考え、鬱になる事が、ストレスのかかる仕事をしていた時はありました。

今思うと普通の人と同じ仕事をするのは、とても無理な事がわかります。

でも、病院の先生からは、普通の人と同じことをしなさいと言われてた事、

親を悲しませたくないと言う一心で、仕事を転々としながら頑張りました。

私が贅沢したい、物欲があった事も、全然出来ない仕事を、

こけてもこけても、頑張れた一つかもしれません。




失敗談

自分が仕事を出来なくて仕事場で怒られることが多くありました。

理不尽な怒られ方が多かったですが・・・

一回だけ、これは自分がダメだな。迷惑かけたなと思ったのがあります。

電気工事の仕事に就業してた時のことです。

新しい現場に移る時は親方と小方が、初めての現場に行って人数合わせをします。

そこで親方、小型の給料が決まるのですが

朝、鬱が出て、現場に行けなくなってしまって、

親方の給料が少なくなってしまって、即首になってしまった事があります。

迷惑かけたなと今でも思います。

 

努力の方向性

とにかく仕事を楽しいと思った事が、一ミリもなかったので、つらい思いをいくつもしました。

本当にお金のためと割り切って仕事をしていました。

怒られてばかりでしたし、それを見てる人の冷たい目に耐えながら、話し相手もいなくて、いじめは当たり前でした。

どの仕事をしても、それは変わりませんでした。

それでも、病院の先生の普通の人と同じように生活しなさい。

という事を守って生きていました。

今思えば、何が楽しくて生きていたのだろうと思います。

自分自身は、薬を一日20錠ぐらい飲んで生活してたので、普通の人とは違うなとは、思っていたのですが。

その間、病名は先生の口から一回も聞いたことがありません。

自分では、鬱か対人恐怖症というのを、若い頃に言われた事があったのでそれだろうと思っていました。

何十年か経った後で、統合失調症とわかったのですが…。

その後一年間だけ、違う先生に診てもらった時も、

先生は少しでも弱音を言うと怒ります。

「とにかく頑張れ」が口癖でした。

現在ではそのような治療は実施されていないのでしょうが

当時は頑張れば何とかなると思い込んでいました。

向かうところ

失敗ばっかりですが、行き方は人とは違うが、目的地点には必ず行ける!

という思いで生活しています。

壁にぶつかる回数は、普通の人よりはかなり多いですが

こけても、ドブにはまっても、目的地点には必ず着ける事を、誰よりも知る事が出来ました。

私は、これから、又、新しい事にチャレンジしようと思います。

普通の人よりも、重りを背負っていますが、

目的地点に着くための、道具は揃えたので、一歩一歩、歩いて行けると思います。

 

ペンネーム:レブ

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です