脳腫瘍【実録】社会復帰の理想と現実

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私は6歳の娘がいる母親です。

「はび・あす」に勤務しています。

娘が産まれたこと時はとても嬉しかったです。

その幸せを今でも覚えています。

出産した赤ちゃんの産声を聞いた時

『幸せだなぁ~神様ありがとうございます。』と思いました。

出産した夜にICUに

出産後の夜に痙攣をおこしてICUに運ばれたらしいです。

1週間はずっと意識がなかったみたいです。

はび・あす山元
はび・あす山元
利き手ではない左手でのパソコン入力、働きなながらの子育てなどなど・・・
いつも学ばせて頂いております!

『社会復帰の理想と現実』

店長、同僚や後輩に話し病気だけど楽しく働けたらければいいなーと第一歩踏み出した。

仕事終わって子どもを迎えに行ったら元気で楽しそうでよかったなー子どもが保育園で頑張って友達と遊んでいて見ると私もいい刺激になりました。

毎日の家事に子育て、仕事はなかなかハードでしたが苦ではありませんでした。

いい意味で1回死にかけたので生きることのありがたさを再確認した感じです。

食事もある程度は作り冷凍した料理や、洗濯は夜に干して

掃除機をかける前にクイックルワイパーのウエットシートをしてから

掃除機かけをすると誇りを舞い上げなく楽でした。

このルーティンでやってばっちりでした。

夫婦間で役割分担する事で共働きも上手くいっていました。




手術後の後遺症

私の場合は手術後も痙攣は残っていました。

いつ何のタイミングで来るのか分からない状況でした。

痙攣は1~2分ぐらいで元に戻るのですが、そのことをさぼっているじゃないか?

とか仕事行く前に痙攣になったりして遅刻するなどで迷惑が掛かるのも承知でした。

そのうちに一定の同僚に無視をされることになりました。

何で?わざとじゃないのに私の病気のこと理解しているような振りをしていたみたいです。

2人は信頼できる方がいたので相談していました。

でも私と関わっているから迷惑かけるかもしれないと思った。

無視してくる人も増えていきどんどん苦しくて、大好きな仕事も楽しくなく、淡々とこなす空気のような存在でした。その頃は仕事に行く前に痙攣になるのが多くなっていました。

救急搬送

ある時、早朝から痙攣が始まりまたすぐ終わるかなと思っていたが、ずっと痙攣が続いていたから夫を起こして救急車に電話をしてもらいました。

医者に5分以上続くとすぐに病院へと言われていたので病院に着くまでも痙攣は収まらず、病院に着いた時に注射してもらい痙攣は治まったみたいで寝ていたそうです。

起きたら痙攣は治まってもう帰れるだろうなー安易な気持ちでしたがまた右半身動きませんでした。

担当の医者に痙攣の理由を聞くと納得しました。

個人差はあるが身体的または精神的な過剰なストレスや睡眠不足でなる場合はあると言われました。

脳検査も行ってくれたそうです。

職場のことを頭のどこかで考えてしまっていたのだと思います。

現実に絶望

せっかく家族で楽しく暮らして行けたのにまた入院何てまた絶望でした。

私が思い描いた人生ではありませんでした。

この時は病院のベッドでずっと泣いていました。

子どもまた離れるし、成長を見たいし、イヤイヤ期ももっと一緒にいたい、仕事の人は私がいなくてラッキーと思うまたマイナス思考炸裂です。

気付き

そんな時に母親がパズルを買って来てくれました。全然、前向きなれなかった私を励ます為にだと思う。

病院はリハビリがなかったら暇なので暇つぶしパズルをやりました。

暇つぶしでやるはずだったのに夢中になってやっていた。

集中してやっていくうちに、自分の頭の中が整理するにはどうすればいいのかがパズルをしていて思いました。

パズルのやり方は人それぞれ・・・自分なりに完成させてパズルが終わる。

自分が生きるためには何が必要、大事にすることを曖昧でもいいから目標を立てていく。

リハビリと一緒な感じで整理したらいいなーと心がぐちゃぐちゃになった私が考え付いた結論でした。

家族、両親、友達のおかげでゆっくりと立ち上がることができた。

再々職場復帰

何とか無事にリハビリも終え家に戻りました。

仕事に復帰するのもすごい悩みました。

でも唯一信頼できる同僚に一緒に仕事をしたいと言われて嬉しかったが、自分がどうしたいのか、またストレスになったりしないかなどたくさん考えました。

結果は・・・仕事は本当に好きで後悔しないため、病気でも働けるということを証明してみたかった。

今思うとその決断は最悪だった。

仕事に再度復帰し自分の病状説明をして病気を知ってほしかったのです。

自分から伝えないと何も変わらないからと思ったからです。

迷惑かける場合はあるのでその時は申し訳ありません。と散々と謝りました。

心の中では病気だけど何でこんなにも謝らないといけないんだろーと正直思っていました。

病気だとずーっと謝らないと生きては、働いてはいけないのかなと考えモヤモヤする日々でした。

そんなある日、信頼できる同僚に子どもが出来たので続けるか、辞めるかの相談を受けた時に私は正直辞めてほしくはありませんでした。

その子が努力をしているところを見てきたし、才能があるとも感じていたからです。

でも相談してくれたのに私の気持ちを押し付けたらダメだなと思いながら話を聞いていました。

その子の中では辞めることが決まってあと背中を押してほしかったかもしれません。

それで気付きました。自分が職場でバリアを張って思い込みやマイナス思考に囚われていたことに。

自分がどんな人間かわかってもらえるように心をオープンにしました。

その同僚が味方だったのもあり、また1人で緊張しながら仕事をしていましたが

だんだんと職場の方々と仲良くなれました。

病気にも理解してもらえるようになりとても嬉しかったです。

退社

この仕事に戻れてよかったなーと思った矢先・・・

店舗のマネージャーから病気でたまに休みをしていることが

就労規則の違反にあたると言われてしまいました。

後日改めて総務部の方々と話し合いをするとのことです。

私だけでは不安だったので・・・夫にもついてきてもらいました。

そして話し合いの日に入院で休むのは基本的に1回ですと言われました。

人事部に相談して了承を得て手続きしましたと伝えても

会社はあなただけを特別扱いできませんと言い聞く耳も持ってくれなかったです。

しかもその日のうちに解雇もしくは退職勧奨を選んでくれの事でした。

好きだった仕事だっただけに涙が止まらなかったです。

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