統合失調症《経験談》病気との向き合い方

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はび・あす山元
はび・あす山元
レブさん
自分の症状のことや過去の事についての記事ありがとうございます。

『平穏な日常から発病するまで』

中学校2年生までは、背が低く当時コマーシャルで流行った、丸坊主のちっちゃい子をモチーフに、マルコメみそ坊主と揶揄されて、目立たない存在でした。

ただ足が速かったので、陸上のリレー走者に選ばれて、何大会か、陸上の大会に出場しました。

部活は休む事はありましたが真面目に通っていました。

青春の記憶

女の子に見向きもされなかった僕が、急に学年のマドンナと呼ばれる女の子から

注目され始め、受験校のランクまで落として同じ高校に入学してくれました。

当時、彼女が僕の動きを集中して見ていたようで気が休まらなかったです。

体を酷使したなと思うのは、部活の朝練やりながら、音楽が大好きだったので、

当時18万円したステレオが欲しくて新聞配達しながら、部活してたことです。

それから、病気が出だしたのが授業中、黒板の文字を書こうと頭を上げ、下げしてる時に隣の人に合わせて

自分も頭を上下してしまうようになったのが始まりです。

頭を上げずに下をずっと見て、黒板の文字を書かなくすればいいかと思ったのですが、今度は鉛筆が転げる音や鼻水をすする音、せき込む音に反応して、チック症がでるようになりました。

これは、今でも、続いています。

仕事中の鼻水すする音や、咳き込まれるとすごく緊張して、いたたまれなくなります。

こうして僕の病気は始まりました。




発病

最初、病気に負けるなという感じと、音楽学校に進みたいという夢があったので、高校を退学してしまったのですが、通信高校に通い1年で卒業して音楽の専門学校に通い始めました。

でも当時の私の病名は、統合失調所の前進精神分裂病でした。

病気と思わず、普通の人と変わりなくが、病院のモットーだったのです。

病気が酷くなる一方、専門学校も中退し、仕事も転々と変わりました。

これじゃダメだと気付いたのはやっと30後半になったときです。

そのころには、統合失調症が確率されていて、病院に行って直ぐにデイケアで体を休めましょうとなり、5年くらい体を休めました。

気の合う仲間たちと過ごす日々は大変穏やかでした。

休息と課題

デイケアで体を休めている時に、今までなんて無駄な努力をしてきたのかなぁと思いました。

仕事しても一日も持たない、ああしてくれ、こうしてくれという指示が僕には何を言っているのか、理解ができない時があるのです。

だから、元々の性格が変わって、最終的には、酷い性格になっていたと思います。

もう人を愛する事の意味もわからなくなっていました。

後遺症として残ったのが、笑われるかもしれませんが、鼻をすすられたり、咳き込まれたりした時に対処法がわからないこと、異性を愛するにはどうしたらいいかわからなくなってしまった、ということです。

まあ結婚しない人も増えていますので大きな問題ではないのかもしれませんね。

 

ペンネーム:レブ

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